『石田三成 「知の参謀」の実像

 

小和田哲男 著

PHP研究所 刊

1997年1月6日(初版)
205ページ 660円

評 価
★★

著者は1944年静岡県生まれ。早稲田大院卒、静岡大教授。著書に『桶狭間の戦い』『三方ヶ原の戦い』『戦国合戦事典徳川秀忠』『明智光秀』『戦国武将』など多数。
中世日本史の研究者として著書が多数あり、マスコミへの露出度も高く、この分野では第一人者とされている。

本書は、”豊臣政権の官房長官というべき地位にあって、秀吉の右腕として辣腕をふるった三成。本来、名官房長官として歴史に書き記されるべき三成が、いつ、なぜ、どのようにして「姦臣」に仕立て上げられてしまったのか。千利休切腹事件、豊臣秀次失脚事件、蒲生氏郷毒殺説など、これら三成の策謀といわれる事件の真相を、丹念な史料の再検証から究明するとともに、戦下手の三成を重用した背景から、平和の時代の参謀像にもせまる力作評伝。”というもの。

一応、史料に従った歴史学の体を採っているが、実際は、かなり偏った先入観で石田三成が語られている。すなわち、「三成の汚名を少しでもすすぐこと」に腐心されている。

例えば、三成には「計数の才」があり、それによって秀吉に重用され、出世したとしているが、それも【三成が大商業地である近江の出身】だという、心もとない根拠による。

『翁草』『名将言行録』『常山紀談』など江戸時代に書かれたエピソードを紹介しているが、読み進めていくにつれ、それが史実のように書かれてしまっている。さらに、これらを「計数の才」に結び付けている。

これまでの通説を批判するのは悪くないが、一方的な史観でひとりの伝記を記すというのは、歴史家としてはどうかと思う。中立な分析の結果、新説が出てくるというのが妥当な帰納法だろう。

著者曰く、
「三成は、”首相”秀吉の右腕として辣腕をふるった。極端ないい方をすれば、”首相”秀吉だけでは、豊臣政権はあれだけの成果をあげられなかったであろうし、もっといえば、豊臣政権としての体をなさなかったかもしれない。”官房長官”三成がいたからこそ、豊臣政権として、日本歴史の上に一つの時代として画されることになったといってよい。」

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