小弓城

生実城、南生実城とも。

小弓(おゆみ)城(千葉市中央区南生実町字古城)は、千葉城築城の頃に、千葉城の南部の守りの要衝として築かれ、重臣の原氏に守らせたとされる(『小弓城跡案内板』)。確かな創築は不明であり、大治元年(1126)頃に千葉氏によって築かれたというのが一般的である(『日本城郭大系』『千葉大系図』)。

永正六年(1509)連歌師紫屋軒宗長は城主・原胤高に招かれ、小弓館で猿楽や連歌に興じている(『東路の津登(つと)』)。永正十五年(1518)、真里谷城の武田恕鑑は古河公方高基の弟・足利義明を奉じて胤高の守る小弓城を落とした。ここを本拠にした義明は「小弓御所」とも「小弓公方」とも呼ばれるようになり、里見氏の支援を受け、後北条氏方の千葉・原氏と争った。天文七年(1538国府台の戦いに義明は敗死し、再び原氏が入城したが、城を北西1.5kmのところに新たに築き(北小弓城)、本拠地とした(『小弓城跡案内板』)。

城は南と西側は水田で、北は支谷に、東は大百池にそれぞれ画された標高2025mの台地一帯で、城の内外に古城・東堀・城出下など城郭に関係した地名が残され、ここが城跡であったことを示している。現在でも、城の西北端(千葉市埋蔵文化財調査センター裏)と南西端の墓地脇に土塁状のものが認められる(『小弓城跡案内板』)。

住宅地に埋没しそうだが、土塁・空堀など、僅かに古城の面影が残っている。

(付近の航空写真)

(現地案内板)

 

(【左写真】主郭跡に建つ碑。〔周辺は墓地&畑となっている〕【右写真】主郭からの眺望。)

 

(【左写真】土塁跡。〔埋蔵文化財調査センター裏〕【右写真】堀底道。〔右側が主郭部〕)

(民家脇の土塁跡)

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