国府台城

市川城とも。康正二年(1456)、千葉実胤の築城。350m×560mの平山城。

江戸川に隣立する里見公園が大田道灌の築城したという国府台城の址。現在は江戸川の悠久の流れとともに、平穏な桜の名所となっているが、この一帯は戦国時代の激戦地である。

天文七年(1538)足利義明、里見義堯と北条氏綱が対陣。激戦ののち北条氏が勝利を収めている。さらに永禄六年(1563)には再び里見義弘と北条氏康が対陣。里見氏はこの地に砦を築き江戸川を巧妙に防御し役立てて勝利した。油断した里見氏に対し、氏康は暗闇に乗じて兵を移し、夜明けとともに一斉に攻撃を開始。里見氏は散々に敗れて上総へ敗走したという。

里見軍の戦死者の遺族である娘が父の遺体を探して戦場をさまよったが、疲れ果てて石に座り込んで泣き続けた。娘は数日後に死去したが夜な夜なその石が娘に代わって泣いたといい、里見公園に隣接する総寧寺境内の大きな石がその伝説の名残という。国府台城の跡である里見公園には遺構と思われる土塁、高台が残る。しかし、現在では平穏な時間だけが流れている。

 

(【左写真】城址から徒歩15分程度の真間の小高い山にある弘法寺で、永禄六年(1563)北条氏政の陣した場所。)

(【右写真】里見公園)

 

(【左写真】里見公園の土塁跡と思われる遺構 【右写真】江戸川と城址遠望)

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