『軍師 山本勘助

【語られた英雄像】

 

笹本 正治 著

新人物往来社 刊
319ページ

2006年12月20日(初版) 2,000

評 価
★★

著者は、1951年山梨県生まれ。名古屋大学大学院文学研究科博士課程前期修了。信州大学人文学部教授。博士(歴史学)。著書に『中世的世界から近世的世界へ』『戦国大名武田氏の研究』『戦国大名の日常生活』『村上義清と信濃村上氏など。

”山本勘助とは一体何者なのか? 武田氏研究の第一人者が「甲陽軍鑑」を読み解き、彼の実像に迫る。また、そこから派生する諸々の問題を検討することにより、戦国時代の実像に迫り、中世から近世への転換の一端を確認する。”というのが宣伝文句だ。

そのとおり、『甲陽軍鑑』の記述検討が本書の大きな目的のようである。


しかし、はっきり言って、読んでいくうちに、辟易するというか、苦痛さえ覚えるところである。
というのは、もともと『甲陽軍鑑』に批判的な著者が、同書で山本勘助の登場する記事をづらづらと羅列させ、さらには現代訳を羅列し、結局、「これは事実ではない」というのが、延々と繰り返されるからである。

山本勘助虚像説に立って読めばこういう解釈になるのは分かるが、もう少し総合的に勘助の記述が為れていることを望んでいたのだが・・・。

その点、上野晴朗氏『山本勘助』とは対極的な書であり、両書を読むことで、その歴史観の違いが浮き彫りになると思われるが、しかし、両書とも、どうも中立感に欠けるというのが正直なところである。

著者曰く、
「『甲陽軍鑑』に記された山本勘助なる人物については、様々な点で問題がある。少なくとも、ここに記されたままの人物が存在したと考えるには無理がある。もし存在したとしても、そこには様々な脚色が加えられており、実態とは異なる。とりわけ、『甲陽軍鑑』の筆者、編者によって意図が加えられている可能性が高い。
少なくとも、我々の考える歴史の本と『甲陽軍鑑』とは全く異なることを肝に銘じなければならない。武田晴信書状の山本菅助と『甲陽軍鑑』に記された山本勘助を簡単に結びつけるべきではない。」

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