三城城

三城城(さんじょう・長崎県大村市三城町)は、永禄七年(1564)大村純忠が築いた平山城である。

元亀三年(1572)三城城は、周囲の後藤・松浦・西郷連合軍に包囲された。このとき城内には、名のある武士は七人しかおらず、あとは小者や女性ばかりである。その少人数で敵をみごと撃退した。これを“三城七騎籠”と呼んでいる。

慶長四年(1599)大村純忠の子・喜前が玖島城に移り、寛永十四年(1637)幕府の命で廃城とされたという。近年、建物跡などが発掘された(『名城をゆく』)。

遺構はほとんど無い。城址の近くに大村家の菩提寺・本経寺がある。大村家はキリシタン大名であったが、喜前のときに幕府の禁教令により棄教し、加藤清正の勧めで日蓮宗に改めたという。巨大な墓石は、仏教信仰を幕府や領民に証明するためのものという。

(参考サイト:ちえぞー!城行こまい

(城址の航空写真)

(城址地形図)

 

【左写真】富松神社(かつての曲輪跡であったという)【右写真】主郭跡(長崎県忠霊塔が建っている))

 

(【左写真】城址遠望 【右写真】本経寺大村家墓碑群 

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