栃木城
応永元年(1394)皆川紀伊守秀光が築いたと伝えられているが、その歴史をつまびらかにすることはできない。 慶長十四年(1609)広照が家康の怒りにふれたため、取り壊されてしまい、堀の跡や土塁の一部が「城内」いう地名とともに残るだけとなってしまった(『現地案内板』)。 ここにこんな城跡があるとは、ほとんどの栃木県人も知らないだろう。完全に住宅地に埋没しているが、一部の遺構が確認できる。 |
(【左写真】城址は公園になっている。 【右写真】本丸跡 )
(【左写真】現地説明板と土塁跡 【右写真】土塁跡 )
( 空堀跡 )
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