皆川城

寛喜年間(1229-31)に皆川宗員が築城。

皆川氏は長沼(小山)宗政の孫にあたる宗員が皆川氏を称したのが始まり。
天正年間(
1573-91)の当主・広照のとき全盛期を迎えるが、後北条氏の侵攻に耐えかね和睦。
小田原征伐の際は北条方につくが、いち早く投降。戦後本領を安堵されるものの、皆川城は上杉景勝・浅野長政軍に攻められ落城。皆川氏も本城を平地の栃木に移したため廃城となった。

土塁・竪堀・曲輪跡など遺構は良好に残っている。残念なのが、一部がアスレチック施設みたいになっていること。また、本丸部分の蜘蛛の巣に苦戦した。

 

【左写真】本丸(東郭)跡 【右写真】東郭城址碑 )

 

【左写真】東郭(本丸)跡からの眺望 【右写真】西郭跡 )

 

【左写真】段郭状の曲輪跡 【右写真】横堀跡 )

 

( 良好に残る竪堀跡 )

( 山麓の居館跡 )

(遠景〔左側頂上部が西郭で右側が東郭で本丸にあたる〕)

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