飯盛山城

標高314m、比高264m。南北朝時代に陣城として築かれたという(『太平記』巻二十六)が詳細は不明。

室町末期になると河内国守護・畠山氏の支配下におかれ、木沢長政、安見直政が城主となる。永禄三年(1560)三好長慶が攻め落とし入城。畿内支配の拠点となって全盛期を迎えるが、同七年(1564)この城で病歿。

同十一年(1568)織田信長に攻められ落城。信長入洛後は畠山昭高が城主となるが、天正四年(1576)廃城となった(『日本の名城・古城事典』)。

現在は城跡というよりハイキングコースとして整備されている。四条畷神社と楠公寺に登山口がある。曲輪、土塁、堀切など遺構はまずますで、山頂から眺める大坂平野は絶景である。本郭付近に御体塚丸という曲輪があり、僅かに残る石垣を確認できる。ここに三好長慶が葬られていると伝えられている。

 

【左写真】山頂主郭部 【右写真】主郭からの眺望 

 

(わずかに残る石垣・石積跡)

 

【左写真】土塁跡 【右写真】堀切跡 

 

【左写真】虎口部分 【右写真】高櫓郭跡 

(城址遠望)

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