坂田城

14世紀中期に千葉氏によって築かれたという。

その後千葉氏重臣・三谷胤興の居城となるが、弘治元年(1555)に大台城主・井田因幡守友胤が三谷氏の内訌に介入して三谷胤興を討ち、坂田城に移った。翌年、胤興の子・蔵人佐が坂田城の奪還を図ったが、友胤の嫡男・胤徳に返り討ちにされた。戦後に友胤は隠居し、胤徳が坂田城主を継いだ。

その後井田氏は北条氏に従属して各地を転戦するが、豊臣秀吉の小田原征伐に際して開城して廃された。胤徳は下総に逃れた後に佐倉城主・武田信吉に仕え、子孫は水戸藩士となった。

城跡は坂田池公園の横の台地上にあり、空堀や土塁などの遺構がよく残っている。特に本丸周辺の空堀跡の広大さが見所。

(現地縄張図と案内図)

 

(【左写真】本丸跡 【右写真】本丸を囲む土塁)

 

(【左写真】本丸空堀 【右写真】本丸土橋)

(二の丸跡)

 

(【左写真】三の丸(梅林) 【右写真】三の丸虎口)

 

(【左写真】四の丸(梅畑) 【右写真】城址遠望)

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