『山本勘助』

 

上野 晴朗 著

新人物往来社 刊
250ページ

昭和60年3月15日(初版) 2,000

評 価
★★★

著者は、1923年、山梨県生まれ。歴史家・作家。山梨県立図書館郷土資料室、県立図書館塩山分館長を経て、執筆活動に入る。その間、山梨県文化財審議会委員、NHK大河ドラマ「武田信玄」の時代考証を担当。 主著に、『定本 武田勝頼』『甲斐武田氏』『武田信玄 城と兵法』『落日の武将武田勝頼』『山本勘助のすべてほか多数。

新装本が再刊されており、「平成19年度NHK大河ドラマの主人公、山本勘助の真実の姿を描いた歴史書。武芸百般に通じた勇将と伝えられる勘助の、生誕から青少年期、武者修行時代、武田軍に仕え戦った日々、壮烈な戦死をとげるまでを考察する。 」というのが売り文句だ。

著者は、山本勘助実在説の急先鋒と言ってもよい存在。本書でも積極的に微証をあげつらって、勘助の実在を力説されている。著者自身も、はじめは、『甲陽軍鑑』や”山本勘助”に懐疑的であったが、様々な証拠を目の当たりにし、信じるようになったという。

その論拠の多くは、実地踏査である。すなわち「山本家」「勘助の墓」「伝承」「地名」「山本家の仏壇」「勘助の位牌」などなどであり、その研究調査・苦労は十分評価すべきものがある。

ただ、ややもすれば盲目的というか、第三者から見れば根拠に乏しい感が否めないものが多い。『甲陽軍鑑』についても、”日時などの誤りがあるが、それは大した問題ではなく、そのような些細な事に固執する歴史学の方が問題だ”という論調で、それを肯定している。

また、明治時代に確立された実証的歴史学には、憎悪とも思えるほどの痛罵を浴びせている。

「第一等の史料をにぎってさえいれば、歴史が書ける、いや、もの申すのは自分達しかいないといった自負と気負い」(29頁)
「甲斐や信濃に一、二度足を運んだだけで、堂々と武田信玄が書けた」(29頁)
「(『甲陽軍鑑』の)いわゆる事実関係の日時や、人名の違いにばかりこだわる人々」(198頁)

などと、何かの恨みがあるのではと思えるほど、辛辣に批判している。


山本勘助が実在したのかはともかく、その生誕地が2つも3つも矛盾無く存在できるとは思えないし、『甲陽軍鑑』の誤謬は史料的価値を落とす事実だと思う。

ある歴史的史料・遺構を、自身に都合良く取捨選択するのではなく、それらを総合して、中立的に歴史を分析するのが、本当の「歴史学」だと感じられる書だった。

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