『信長の戦争
『信長公記』に見る戦国軍事学

 

藤本正行 著

講談社 刊

平成15年1月10日(初版) 1000円
314ページ

評 価
★★★★★

著者は、1948年生。慶應大学卒。轄ハ陽代表取締役。千葉大、東京都立大非常勤講師を歴任。いわゆる正統派の学者ではないが、その研究は示唆に富み、画期的であり、戦国史を大きく変化させるほど価値のあるものばかりだ。

本書は、著者が『歴史読本』などで長年に亘り発表されてきた論文を一冊に纏めたもの。

副題にあるように、太田牛一の『信長公記』に書かれている織田信長の合戦史を丹念に追っていくというもの。『信長公記』の史料的な価値を否定する人はいないであろう。したがって、これは史実探求としては当然の姿勢である。
しかし、この当然のことが、これまでどれほどおざなりにされてきたのかが、本書を読むことで痛感できる。

その内容というのは、我々の常識に反するものである。ざっと挙げても、
・桶狭間の戦いは、奇襲戦ではなかった
・墨俣一夜城は実在しない
・長篠の戦いで、鉄砲の三段撃ちはなかった
などである。
これらは、にわかに受け容れ難いものだが、本書では、『信長公記』を基本として、様々な史料を駆使し、これらを説得力のある”歴史”とされている。

それは、すなわち実証的な歴史学であり、史実を解明する真摯な姿勢である。

例えば、長篠合戦の織田軍の鉄砲の数は、これまで3,000挺というのが常識だったが、しかし、最初、『信長公記』には1,000挺程と書かれており(三千挺と記載される『信長公記』もあるが、その理由について書誌学的に詳細に解明されている)、これを小瀬甫庵『信長記』が3,000挺と作り、『総見記』などがこれを継承し、明治になって参謀本部『日本戦史』で通説として歴史化してしまったという。
つまり、信頼すべき史料からは、1,000挺程とするべきで、3,000挺というのは、後年の史料(特に歴史を脚色し、小説的に記した甫庵『信長記』)にしか拠れないという事実を明らかにされている。

これは、明らかな事実ながら、常識とは異なるため、現在でも受け容れない歴史家が少なくない。
例えば、二木謙一氏は、その著書『長篠の戦い』で、
「太田牛一は、当初「千」と書いたが、のちに「三千」と改められたもので、史実ではないとする説がある。しかし、『長篠日記』には「鉄砲ワ信長公三千挺、家康公五百挺」とあり、『利家夜話』や『改正三河後風土記』にも「鉄砲三千挺」とあり、そのほかにも織田・徳川の鉄砲を「三千挺」もしくは「数千挺」としたものは多い。信長のそれまでの鉄砲使用の実績から考えても、長篠でもやはり3000挺以上の鉄砲が使用されたと思われる。」
とされている。

しかし、信憑性に欠ける後年の史料をどれだけ持ち出しても、その信憑性は高まらないし、まして「それまでの実績」などという訳の分からない根拠を頼りとするようでは、藤本氏の新説には全く対抗できないと言わざるを得ない。

このように、学界には、旧態依然の通説にしがみつく権威が多い。これに対して、その常識を覆してきた藤本氏の功績は高く評価すべきものである。

氏曰く、
「”常識”ほどしまつにおえないものはない」という場合がある。歴史の常識、つまり定説は、それが有名なものほど、研究テーマとして見過ごされてしまい、結果として研究全体を停滞させることがあるからである。そして、信長の軍事に関する定説が、まさにこれにあたるのである。

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