目吹城

標高15m。

目吹城(千葉県野田市目吹)は、北に利根川の低湿地帯を望む台地上にあった。

平安時代後期には鎌倉景政の館で、その後戦国時代、永禄-天正年間には佐々木義信の城であり、さらに天正十年(1582)には丸山将監という人物が城を修復したと伝わっている(『東葛郡誌』)。
しかし、これらにはいずれも確証が無いという
東葛の中世城郭』)

城跡は、現在の熊野神社からその東側の「城宿」と地名の残る場所とされる。

しかし、明確な遺構は残っていない。熊野神社裏の土手を土塁の跡とする説もあるが疑問である。


 (跡地の航空写真)

 (熊野神社の案内図)

 

(【左写真】熊野神社。周囲より高くなっており城っぽい雰囲気。【右写真】四周する土塁痕?らしきもの。)

 

(【左写真】本殿の西側の空き地。曲輪に見えないこともない。【右写真】神社の北側は断崖。)

 

(【左写真】熊野神社から北の利根川を望む。【右写真】熊野神社の遠望。)

(字「城山」の地。この民家の辺りが城跡とする説もある。しかし地形的には熊野神社の方が適している。)

 

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/index.html