標高14m。城山、堀の内とも。 金野井城(千葉県野田市東金野井)は、現在の江戸川の東側台地上に位置する。 当地の歴史は古く、鎌倉時代には野本氏が領し、その後、足利氏、簗田氏、扇谷上杉氏、天正期には後北条氏の支配下に属した。 城跡は、金野井浄水場、西福寺となっている。3つの曲輪があったらしく、改変はされているが、土塁・空堀がその名残りを伝えている。要害の地ではなく、城というよりも館とするのが正しいだろう。 なお、諸書に指摘はないが、西福寺の東側の雑木林には、一見して遺構と思える地形がある。本当に遺構なのかは判らないが一応掲載しておく。 |
(跡地の航空写真)
(浄水場脇の城址碑)
(【左写真】浄水場。U郭とされる場所。【右写真】浄水場の土居は遺構ではないだろう。)
(【左写真】U郭とV郭の間を走る車道。【右写真】V郭の西福寺。)
(西福寺の北側には土塁と空堀の並列遺構が残っている。)
(【左写真】付近にある祠。【右写真】西福寺の東、竹林の遺構紛れ。)
(【左写真】削平状況の良い曲輪や土塁らしき地形が整然とある。【右写真】水路によって要害の地形になっている。)
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