深井城

深井城(千葉県流山市西深井)は、江戸川の東岸台地であり、北は明治時代に開削された利根運河を望んでいる。

深井城の実態は極めて不鮮明だという(『東葛の中世城郭』)。

わずかに、永正十年(1517)高城民部少輔、庄田藤次郎という人物が「フカイニテ打死」という史料が残っているだけである(『本土寺過去帳』)。

その後、高城氏の家臣・安蒜氏がここの支配を行ったと推察されるが(『高城家由来書』)、当地が関宿簗田氏の支配領域との境目なので、高城氏の有力な家臣が配置されたのは間違いないという(『東葛の中世城郭』)。

現在、明確な遺構は残されていない。
ただ、不動坊の周辺、浄信寺跡の周辺、字清辺の辺りに土塁・空堀とも思える地形が散見できる。これらをすべて遺構だとすると相当な巨大城郭になるが、疑問が残る。

ともかく、大正時代から所在地ははっきりしなかったのであり(『東葛飾郡誌』)、利根運河でかなりの部分が消滅したと考えるのが自然であろう。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑


 (城址の航空写真)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

(「不動坊」の脇に立つ説明板)

 

(【左写真】「不動坊」様。一見すると民家のようだ。【右写真】「不動坊」の入口。)

 

(周辺には土塁・空堀らしき地形が見られる。しかし、遺構なのかはよく分からない。)

 

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