名都借城

名都借(なづかり)城(千葉県流山市名都借字城山)は、前ヶ崎城のある舌状台地の東側に位置し、地勢的には果たしてこのような場所に城郭を造る必要があったのか疑問に思われるような、鶏の嘴状の台地の突端にある(『日本城郭大系』)。

その歴史は分明ではないが、大永元年(1521)には、ここで合戦があり、また文明三年(1471)〜大永四年(1524)までの間に、飯野あるいは飯野尾なる有力人物がいた(『本土寺大過去帳』)。

遺構は残されていないが、地名を「城山」といい、城主の子孫とされている高城氏宅周辺には土塁の痕跡や妙見祠があり、館跡との説も有力である(『日本城郭大系』『東葛の中世城郭』)。
また、付近には、戦国時代に高城胤辰が開基したと伝えられる広寿寺がある。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑

 

(【左写真】字「城山」付近。【右写真】城主の開基した広寿寺。)

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