前ヶ崎城

標高20m、比高13m。

前ヶ崎城(千葉県流山市前ヶ崎字奥の台)は、高城氏が二代目に築城し、居城した根木内城の城下を流れる藤川が、北の方向に流れる下流東側にある(『日本城郭大系』)。

城主については、誰であったか特定は難しい(『東葛の中世城郭』)が、付近の小字名に「追手橋」とか、「刑部郭」の名称があったことから、高城氏家臣・田島刑部少輔がいたのではないかという説がある(『東葛飾郡誌』)。

文明十年(1478)十一月三日には、太田道灌と千葉・長尾氏の合戦によって、この城は落城し、太田六郎、戸張彦次郎という武士が戦死している(『本土寺過去帳』)。

城は、三本の東西の谷津に達する空堀によって、大きく三郭に分かれる。今日では土取りと宅地化によって先端部の一郭しか残っておらず、破壊も甚だしいが、それでも土塁によって本丸らしい感じを残している(『日本城郭大系』)。

遺構は、城址公園となって保存されている。郭には高い土塁が巡り、櫓台とも思える高みもある。背後には空堀を配し、山腹には帯郭が見られる。この帯郭は途中で壁によって行き止まりになり、防禦を目的とした犬走りのような造りであり興味深い。一説には、「塁下の犬走りを通過する敵をここで殲滅するための囮虎口」と推察されている(『余湖くんのホームページ)。城域の一部しか残存していないものの、中世城郭の名残りが窺える貴重な史跡である。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑

(現地縄張図)

 

(【左写真】一の郭。公園として整備されている。【右写真】周囲は土塁が巡っている。)

 

  

(【左写真】櫓でも構えられたような高台。【右写真】高台にある石碑。)

 

(【左写真】土塁には切れ目があり、かつての虎口と思われる。)
(【右写真】竪堀のような地形。登城路だったものか?この上は土塁が欠損しており、こちらも虎口か?)

 

(【左写真】一の郭下を走る帯郭。空堀の残片とする説もあるが、腰曲輪・犬走りと考えるのが妥当であろう。)
(【右写真】犬走りを進んで行くと壁で行き止まりになる。この左上には先の竪堀があり虎口に繋がっている。)

 

(【左写真】犬走りをせき止めている迫り出し。意図的に設けられたのは明確である。【右写真】城址遠望。)

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