根木内城(千葉県松戸市根木内字城ノ内)は、藤川の氾濫原に向かって、北東方向に突き出た舌状台地上にある(『日本城郭大系』)。 寛正三年(1462)高城胤忠の築城といわれる。高城氏は、九州千葉氏の一族で、戦国時代に太田道灌と争ったものであり、天文六年(1537)小金城を築いて、主力を根木内城から移した。天正十八年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで落城する(『日本城郭大系』)。 縄張りは、もともと城郭全体に犬走りをめぐらし、空堀と土塁によって六郭以上の曲輪を複雑に配し、これを土橋によって連絡し、さらに土塁には要所に高台展望を設けていた。しかし、昭和三十年頃の国道6号の開通、その後の宅地化によって、多くの遺構が失われた(『日本城郭大系』)。 城址は、歴史公園として整備され、ひとつの郭が残り、周囲には土塁が見られる。また、それを巻いている空堀は実に大規模で、この城の堅固さが想像できる。さらに東側には湿地帯が現存し、往時はなかなか要害の城郭であったことが分かる。 (参考サイト:余湖くんのホームページ 房総の城郭) |
(国土地理院発行の2万5千分1地形図)
(城址の航空写真。ほとんどの遺構は失われた。)
(城址公園案内図)
(【左写真】城址碑 【右写真】唯一残された曲輪。公園として整備されている。)
(【左写真】曲輪を取り巻く土塁跡。【右写真】曲輪の周囲の空堀。大規模である。)
(【左写真】空堀の向こうには土塁が。かつての曲輪の名残りだろうか。【右写真】土橋跡。比較的明確。)
(【左写真】麓から曲輪を見上げる。きれいな切岸が分かる。【右写真】麓の湿地帯。かつては浮き城だったのだろう。)
(城址遠望)