大谷口城、開花城とも。(★★天文六年(1537)高城胤吉の築城。 小金城(千葉県松戸市大谷口)は、江戸川低湿地帯を見下ろし、中川・隅田川・荒川の大河川が東京湾に注ぐ関東平野を一望できる下総台地西端の台地上にある(『日本城郭大系』)。 高城氏は、これまでの居城であった根木内城が手狭になったので、家臣・阿彦浄意に縄張りをさせ、享禄三年(1530)から七年をかけて、天文六年(1537)九月に小金城を完成させた(『高城家文書』『八木原家文書』)。 北に金杉口、東に大手口、丑寅に達磨口、西に横須賀口、南に大谷口を設け、横須賀口には家臣を住まわせ、その規模・内容は稀にみる大がかりなもので、完成の祝宴も盛大であったという。以来、天正十八年の豊臣秀吉の小田原攻めで落城するまで、三代57年間に亘って栄えた(『日本城郭大系』)。 このような大城郭だったが、現在残るのは金杉口、達磨口付近の遺構だけである。最も戦闘的な主要建造物を有した「本城」「中城」などは昭和三十九年の宅地化で消滅した。 (参考サイト:埋もれた古城 余湖くんのホームページ 帝國博物学協会城郭研究部) |
(歴史公園付近の航空写真。多くの遺構は失われた。)
(歴史公園案内図)
(現地縄張図)
(【左写真】歴史公園の頂上部の郭。城址碑などもある。【右写真】郭には土塁のような地形も見られる。)
(【左写真】腰曲輪のような削平地もある。【右写真】そこに残る畝状空堀。遺構のようである。)
(【左写真】他の郭の「障子堀」。これは近年の復元らしい。【右写真】金杉口虎口。模擬冠木門がある。)
(【左写真】達磨口。高みは土塁とされる。【右写真】土塁の手前は堀切のような地形。橋が架かっていたのだろう。)