大田原城

大田原城(栃木県大田原市城山)は、天文十四年(1545)大田原資清によって築城され、町島水口より移り、以来明治四年(1871)の廃藩置県に至るまでの326年間、大田原氏の居城である。

東西210m、南北327m、面積9.1ha。本丸、二の丸、三の丸に区画され、この他、北・西両曲輪、馬場、作事場等、築城法にかなった防御を第一とした要塞の地である。明治五年(1872)兵部省に引き渡され、取り壊された(『現地案内板』)。

慶長五年(1600)徳川家康は、関ヶ原戦の前、奥羽の情勢からこの地を重視して城の補修を命じ、さらに徳川三代将軍家光は寛永四年(1627)常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への鎮護とした。
文政八年(
1825)には火災によって焼失したが、同九年に新たに造営した。戊辰の役には西軍の軍事拠点となったために、東軍の手薄なところを攻められたが、火薬庫の爆発によって落城をまぬがれたという(『現地案内板』)。

現在は龍城公園として利用されている。本丸を囲む土塁や空堀が見所か。


(城址の航空写真)

(現地案内図)

 

【左写真】本丸跡(諸役所・武器庫・納戸庫・長屋などがあった) 【右写真】本丸を囲む土塁 )

 

 【左写真】本丸と二の丸の空堀 【右写真】台門跡(奥が本丸で、唯一の石垣門であった)

三日月堀跡)

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