唐沢山城
根古屋城、栃木城、牛ヶ城とも。 唐沢山城は佐野市の北、高さ240mの山全体で、周囲を急崖に囲まれ、眺望は関東平野を一望できる自然の要塞である。 戦国時代には佐野氏の拠点として、後北条氏や上杉謙信の攻撃をたびたび受けるが一度も落城することはなかった。しかし城主・佐野宗綱が須花坂の合戦で討死すると北条氏康の六男・氏忠が佐野氏の養子となり後北条氏に服す。秀吉の小田原攻めの後、宗綱の弟で、剣術の達人として名を馳せた佐野天徳寺宝衍房綱が入城。二年後に隠居すると秀吉の家臣・富田知信の二男(佐野信吉)が城主となる(『日本の名城・古城事典』)。 廃城の一説に、慶長七年(1602)江戸の大火をこの城から確認した佐野信吉がいち早く江戸に駆けつけると、徳川家康は「江戸城を見下せるところに居城するとはけしからぬ」として、廃城の沙汰が下ったという(『日本の名城・古城事典』)が、とても史実とは思えない。 郭・堀切・石垣などが極めて良好に残る。急峻な山城だが、城址付近まで車道があり駐車場なども完備されている。 |
( 現地案内板 )
(【左写真】本丸跡の唐沢山神社 【右写真】本丸虎口 )
(本丸付近に残る石垣)
(【左写真】表御殿の石垣 【右写真】二の丸跡(周囲を石垣で囲まれている))
(【左写真】三の丸跡(賓客の応接間があった)【右写真】帯廊跡 )
(【左写真】四つ目堀(神橋がかかっており当時はもっと深かった)【右写真】枡形門跡 )
(【左写真】天狗岩(物見)からの眺望 【右写真】城址石碑 )
( 城址遠望 )
(国土地理院発行の2万5千分1地形図)
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