宇都宮城

天慶三年(940)藤原秀郷が居を構えたのが始まりとも、康平六年(1063)宇都宮氏の祖・藤原宗円が築いたのが始まりともいわれている。

幾多の戦乱を潜り抜けてきた関東の名族・宇都宮氏であったが、戦国時代になると後北条氏の台頭、家臣の反乱に悩まされる。国綱の代になると後北条氏の攻勢に対抗するため、多気城に一時本拠を移す。
天正十八年(
1590)小田原征伐では豊臣方として参陣し所領を安堵されるが、慶長二年(1597)秀吉の命によって改易される。検地奉行の浅野長政との関係が悪化し、検地の際に宇都宮氏に不正申告があったと摘発されたためといわれている。翌年、会津若松より蒲生秀行が入城する。関が原合戦後に奥平家昌を経て、家康の腹心・本多正純15万石で入城。正純のときに城の大改築が始まり、天守閣を含む近世城郭になった。正純が「釣天井事件」によって改易されると、城主は目まぐるしく替わり、幕末の戊辰戦争で焼失してしまった。

遺構は期待できない。数年前に訪れた時は、全くの平地・芝生であったが、現在、本丸の一部を復元工事中である。

 

(復元?櫓。土塁も塀もすべては平成に造られたもの。)

 

【左写真】変な城門 【右写真】二の丸工事中に出土した石(本多正純が城主の頃)

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