多功城

多功城は、宝治二年(1248)宇都宮城の南方の固めとして多功の地が選ばれ、宇都宮第五代城主頼綱の四男、多功石見守宗朝によって築城され、慶長二年(1597)豊臣秀吉により領地を没収されるまで349年間続いた城。
東西約400m、南北約300mで、西方約100mのところに西館があった。現在、本丸跡の北から西側の土塁・堀の一部と東側土塁の一部を残すだけだが、文化二年(1805)の旧図によると、南向きの複郭で、ほぼ方形、東北部に本丸、その南は大手門、西から南に二の丸・三の丸の郭塁があったとされる。南側の遺構は残っていない(『現地説明板』)。

ゴルフ場北側に城址碑があり、周囲に僅かな堀・土塁跡が残る。

 

【左写真】ゴルフ練習所となった本丸跡 【右写真】土塁跡 

 

【左写真】空堀跡 【右写真】城址遠望 

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