岩出山城

応永年間(1394-1428)大崎家臣・氏家隆継が築城し、元を岩手沢城といった。

天正十八年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置で氏家氏の旧領を含む大崎領が改易となり、木村吉清に与えられた。しかし吉清は譜代の臣も少なく、粗悪な者が多かったため領内は乱れた。これに激怒した旧城主の氏家氏の旧臣らが吉清の家臣を斬殺。これを契機に葛西・大崎旧領全体に一揆が広がっていった。

一揆平定後の翌年(1591)、再度の奥州仕置により伊達政宗は伊達氏代々の領土から葛西・大崎旧領への移封が命じられた。このとき大崎地方の検地を担当していた徳川家康が40日間この城に滞在。家臣・榊原康政に命じて縄張り・修築させて政宗に引き渡した。政宗は岩出山城と改称し、仙台移転までの12年間に渡って本拠とした。しかし朝鮮出兵等で不在が多く、屋代景頼が政務を執っていた。政宗の仙台移転後は四男・宗泰が城主となり、岩出山伊達家の祖となった。

現在は城山公園となり、土塁や空堀が残る。

 現地案内図

 

【左写真】城址碑 【右写真】本丸からの眺望 

 

【左写真】本丸内門跡 【右写真】二の丸 

 

【左写真】内門跡の土塁 【右写真】北の空堀跡 

(城址遠望)

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