名生城

観応二年(1351)大崎家兼によって築城。

大崎氏は足利一門・斯波氏の一族で、家兼のときに陸奥に移住し大崎姓を名乗った。後に奥州探題となり勢力を拡大するが、一族の内紛・伊達氏の台頭により次第に衰退。天正十八年(1590)豊臣秀吉の奥州仕置により改易された。

翌年に葛西・大崎旧臣の一揆勢が籠もるが、秀吉から一揆鎮圧の命を受けた蒲生氏郷によって攻略。氏郷は伊達政宗と一揆勢が通じていることを警戒して、一時この城に籠もっている。一揆鎮圧後に廃城となった。

城跡は農地・住宅地となり、案内板を見て不鮮明な遺構を確認する程度である。

(現地案内図)

 

【左写真】本丸跡 【右写真】土塁跡 

(空堀跡)

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