高屋城

応永年間(13941428)に畠山基国が安閑陵古墳を主郭として築城。周辺の古墳群を利用した要害であったという。畠山家の内紛、守護代の遊佐氏・安見氏、阿波の三好氏の台頭により城主は度々替わった。

織田信長の畿内平定後は畠山高政・昭高が城を回復するが、再び守護代の遊佐長教に攻められ昭高は自害、高政は紀伊に追放された。天正元年(1573)、本願寺挙兵に呼応した三好康長が入城して籠城。2年間持ちこたえるが開城降伏して、その後に廃城となった。

本丸跡は安閑天皇陵となり立入不可。周辺に水堀が残る。

 

【左写真】本丸(安閑天皇陵) 【右写真】本丸水堀 

二の丸(安閑天皇皇后陵)

戻る

http://srtutsu.ninja-x.jp/index.html