中沢城(千葉県鎌ヶ谷市道野辺)は、大字道野辺の「西城」「東城」と呼ばれる地にあったとされる。 中沢壱岐守という人物が城主だったという伝承が残り、そこから城名が来ているのであろう。 しかし、正確な場所すら判っておらず、妙蓮寺北側(八幡神社)や周辺に見られる土塁状の地形は、いずれも小金牧の野馬除けの土手で、城砦の遺構ではないという(『東葛飾郡誌』『日本城郭大系』)。 すなわち、その遺構は皆無であり、現状では、城館に関する地名が残っているものの、地勢的にこの地に城郭が必要であったのかすら疑問視されている(『日本城郭大系』)。 (参考サイト:余湖くんのホームページ 帝國博物学協会 「小金牧」『Wikipedia』) |
(城址航空写真。地名が残るものの、遺構は無い。)
(【左写真】妙蓮寺。城址の一角と思われる。【右写真】付近の山林も建売住宅が建設されようとしている。)
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