米本城

米本城(千葉県八千代市米本字内宿南)は、標高26mの舌状台地にある。

城の東方3.5kmの地に雄城・臼井城があり、この支配系列下にあったことはいうまでもない(『日本城郭大系』)。
城のすぐ北隣の地には、いつの時代か村上網清という武将が開基したとされる長福寺があり、同寺には網清の墓と伝える五輪塔がある。そうしたことから網清が米本城主であったと考えられており、網清にまつわる伝承も豊富に地元に残っている(『日本城郭大系』)。

現在の米本城は昭和42年頃に二郭以上の部分が土取りによって完全に破壊されてしまった。

三の曲輪などの各曲輪群や土塁・空堀などが確認できるが、藪化が激しく明瞭に確認することはできない。

(現地案内図)

 

(【左写真】土塁跡 【右写真】空堀跡。雑木と草が生い茂っている。)

 

(【左写真】三の曲輪土塁跡 【右写真】三の曲輪の土塁上には小祠がある。)

 

(【左写真】大手道跡 【右写真】城址遠望 )

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