松戸城

松渡城、松龍寺台、城山とも。

松戸城(千葉県松戸市松戸)は、江戸川に突き出した標高20〜25mの舌状台地上にあった。

十五世紀から十六世紀に、原氏、高城氏の属城であった。文正元年(1466)には確実な史料に登場しており(『御内書案』)、天文七年(1538)十月の国府台合戦では、後北条氏の軍事拠点として使用されている(『快元僧都記』『国府台戦記』)。
戦国末期、豊臣秀吉の小田原攻めに際して、城主であった高城筑前守は
小田原古城 に籠城し、この時、同じく落城したものと思われる。

城址は、戸定が丘歴史公園、福島県学生寮、千葉大学園芸学部の敷地となって、遺構は破壊されている。
千葉大学の敷地は、高低差の豊かな地形で、一部に土塁跡(駐車場脇)、空堀痕、櫓台などが残っている
(『東葛の中世城郭』)。しかし、全般的に、城郭としての雰囲気は失われたと言わざるを得ない。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑 埋もれた古城 帝國博物学協会

(城址概念図)

 

(【左写真】大学の駐車場脇の土塁。しかし、本当に遺構だろうか?【右写真】郭のひとつとされるコート。)

 

(【左写真】空堀の名残りだとされる坂道。【右写真】櫓台跡。小祠が存在している。)

(城址遠望。2008年4月12日撮影。)

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