相模台城

岩瀬城とも。

相模台城(千葉県松戸市岩瀬)は、海抜25mの平坦な下総台地上にあり、地形は一辺が600mの方形をしている(『日本城郭大系』)。

建長元年(1249)房総三国の守護職・北条長時が築城し、その後、北条相模守高時が嘉暦寅年(1326)に居住したことから“相模台”と称されるようになったという(『東葛飾郡誌』『岩瀬村誌』)。

戦国時代には、高城氏の支配化となり、天文七年(1538)正月、北条氏綱・氏康と里見義堯・足利義明との合戦があって、1000人余が討ち死したと伝わる(『本土寺大過去帳』)。

第二次大戦後に改変され、現在では聖徳大学、相模台小学校、検察庁、裁判所などが建ち、近年まで見られたという土塁を含め、遺構は消滅してしまった(『日本城郭大系』『東葛の中世城郭』)。

聖徳大学の正門を入って左手に「相模台合戦碑」「経世塚」がある他、相模台に上がる切通しの坂道は、空堀の跡だとされているが、城郭の面影は失われている。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑 埋もれた古城 歴史探訪記 帝國博物学協会

(城址の航空写真)

 

(【左写真】空堀跡とされる坂道。【右写真】城址の一部である中央公園。)

 

(聖徳大学敷地内の石碑、塚、説明版。基本的に女子大なので、なかなか入るには躊躇してしまう。)

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