上本郷館

上本郷館(千葉県松戸市上本郷一丁目字惣台)は、南花島の東方へ入り込む谷津の谷頭台上、今の風早神社付近にあったと伝えられる中世前期の館跡である(『東葛の中世城郭』)。

鎌倉時代、千葉常胤の六男・東六郎丈夫胤頼の子・四郎胤康は、葛飾郡風早郷に拠って、風早四郎入道を称した(『千葉大系図』)。
彼は承久の乱(承久三年・
1221)にも参戦し、『吾妻鏡』にも名のみえる武将であった。

風早神社の起源は定かではないが、この胤康の館跡に祀られたものと推定されている(『東葛の中世城郭』)。
戦国時代には高城氏の支配する
小金領の惣社として位置づけられ、同氏の保護を受けた(『東葛の中世城郭』)。

館跡の所在地は、神社の周辺とされるが、正確な位置はつかめず、また遺構の痕跡すらないため、その構造・形態などは一切不明である(『東葛の中世城郭』)。

(跡地の風早神社だが、遺構は無い。)

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