中金杉城

中金杉(なかかなすぎ)城(千葉県松戸市中金杉四丁目)は、坂川流域の低地帯に向かって突出する標高20m前後の中金杉台にあったとされる(『東葛の中世城郭』)。

当地には、高城氏の菩提寺・広徳寺があり、ここが城址とされる。広徳寺境内の弁財天は、後北条氏と豊臣秀吉の緊張関係が極点に至った天正十六年(1588)九月九日に遷宮されている(『弁財天石祠銘』)。

当地を城郭として始めて採り上げたのは松下邦夫氏で、天文七年(1538)高城胤吉の築城とする(『日本城郭大系』)。

城址とされる広徳寺は、小金城築城の頃、粟ヶ沢より当地へ移されたと伝えられ、本城の付属施設として一定の役割を担ったとみられるが、現在、城郭遺構を思わせるものは無く、ここに城砦があったという説は推測の域を出ない(『東葛の中世城郭』)。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑

 

(城址とされる広徳寺。遺構は何も無い。)

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