高柳城

高柳城(千葉県柏市高柳馬洗戸)は、大津川の中流域、その本支流が合流する低地帯に向かって突出した標高20mの舌状台地上に位置する。県道・船橋我孫子線が貫き、城址を二分している(『東葛の中世城郭』)。

応永年間、高柳村は相馬氏の所領であった(『相馬文書』)。城跡の起源は、相馬氏の居館であったとみることができるものの、断定はできない。その後の経緯は明確ではないが、戦国時代には高城氏の支配下に置かれたことはほぼ間違いないであろう(『東葛の中世城郭』)。

城址は、善龍寺の周囲で、台地先端部や県道東側の雑木林の中に、土塁・空堀跡が発見でき、一部に二重土塁の痕跡も窺われる。複数の郭を段状に配した戦国時代の城跡とも(『東葛の中世城郭』)、小規模な屋敷跡とも考えられている(『日本城郭大系』)。

雑木林には、一部城郭らしき地形を認めるが、必ずしも明確とはいえない。その北側は広い平場となっており、郭の跡か、かつては沼地で水堀の役割を果たしていたのかも知れない。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(【左写真】雑木林の中の郭跡。しかし荒れている。【右写真】土塁跡。必ずしも明確でない。)

 

(【左写真】林の北側。平場になっている。【右写真】城址遠望。左側の林に遺構が残る。)

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