泉妙見山城

標高20m、比高15m。

泉妙見山城(千葉県柏市泉)は、手賀沼へ注ぐ「染井入落し」が支谷津と合流する地点に向かって突き出た台地上に位置し、鹿島城とは向い合う地形にある。

その歴史は詳らかではないが、古くは相馬氏の一族である相馬泉氏が支配していたと思われる(『本土寺過去帳』『日本城郭大系』)。康正二年(1456)武田信長が上総国に入った際に当地も領されたと推察され、戦国盛期には、高城氏の支配下に置かれたとされる(『東葛の中世城郭』)が、いずれも明らかではない。

今日、城址の大半が宅地となり変貌著しいが、台地先端部の「妙見社」付近に若干の遺構がみられる。社は一段高い土壇状をなしており、防禦施設があったと思われ、周囲には土塁跡もあり、南側の宅地内には土塁・空堀跡がみられるという(『東葛の中世城郭』)。また、社から500m東に寄った大手と考えられる地点までには、食い違いの十字路、折などがところどころにみられる(『日本城郭大系』)。

付近には「馬場」「中城」などの字名も残り、大規模な城郭であったと考えられる。しかし、現在ではそのほとんどが破壊の憂き目にあい、妙見社の辺りに「城址らしき雰囲気」を感じるだけになった。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(【左写真】泉妙見社の棒碑。城址であると書かれている。【右写真】妙見社。土壇状で土塁の跡か?)

 

(【左写真】土壇上にある妙見社石碑。【右写真】付近の土塁らしき地形。しかし遺構かは断言できない。)

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