鷲野谷城

鷲野谷城(千葉県柏市鷲野谷)は、鷲野谷集落の東方、手賀沼南岸に向かって突出した標高20m前後の台地上にあったと伝える。

この地は、建武三年(1336)相馬親胤が領している(『相馬文書』)。戦国時代には高城氏の支配下にあったと推察され、城主はその家臣の染谷氏であったといわれる(『東葛の中世城郭』)。今日、鷲野谷地区には染谷姓の旧家が多数点在しているという(『東葛の中世城郭』)。

現在、台地は削平され原形を失っている。かつては字城山の地区に土塁・空堀・犬走りが存在していた(『日本城郭大系』『沼南町史』)。一方、城山の西方「星神社(妙見社)」の周辺には土塁・空堀・郭と見られる地形があった。一説に、この神社付近が本城で、城山は出城とされる(『東葛飾郡誌』)。

今では、ほとんど遺構を期待できない。星神社の境内脇に土塁痕が見られ、付近の民家にも土塁らしき地形が認められる。しかし宅地化が進み、城郭の面影は無い。

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(【左写真】「城山」と呼ばれる地区。耕作地となって遺構は無い。【右写真】付近の民家の土塁状の地形。)

 

(【左写真】主要部とされる「星神社」。【右写真】神社境内には土塁の痕跡が残っている。)

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