根戸城

標高16m、比高13m。

根戸城(千葉県我孫子市根戸)は、高田支谷と花野井支谷が東方の根戸で交わり、やがて手賀沼の西端部へと落ちるあたりの台地突端部に位置する(『日本城郭大系』)。

城主については不明だが、根戸氏を名乗った相馬胤村の三男・胤光とも(『東葛飾郡誌』)、付近で合戦した太田道灌ともいわれている(『富勢村誌』)。

根戸城の中核部分である台地突端部の遺構は、直線連郭式のもので、保存のよい土塁と空堀によって、その一郭が現存している。犬走りも南側に見られ、城内にある塚は、道灌の臣の墳墓とも伝えられている(『日本城郭大系』『東葛飾郡誌』)。

城址は、土塁・虎口がほぼ完存している主郭とその周りの空堀が良く残っている。西側には二の郭があり、付近の空堀も明らかに遺構と分かる。要害性はそれほど高くなく、豪族の居館として戦国時代にも利用されたものであろう。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 房総の城郭 城郭図鑑

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

(【左写真】主郭。きれいに削平され、土塁が四周している。【右写真】主郭の小祠。)

 

(【左写真】手賀沼→主郭への虎口。単純な造りである。【右写真】二の郭→主郭への虎口と土橋。)

 

(【左写真】主郭周囲の空堀。四隅の角が深く掘られており興味深い。【右写真】二の郭。土塁が見られる。)

 

(【左写真】二の郭虎口の空堀。良く残る。【右写真】主郭東側の郭。櫓や物見台のような造り。)

 

(【左写真】城の西側の塚。古墳とも道灌家臣の墳墓とも。【右写真】城址からの眺望。手賀沼が見える。)

(城址遠望)

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