鷺沼城

この城に関する史料は唯一『吾妻鏡』で、それによれば、治承四年(1180)石橋合戦の時、敗戦した兵士が多数この城に非難したという。

城主は不明だが、正応年間(128893)に鷺沼光義が居城したとされる(『千葉郡誌』)。室町時代に馬加康胤が千葉宗家を滅ぼした際、旗下に鷺沼兵庫の名がみえる。戦国時代には国府台合戦に鷺沼満義という武将が参戦している。

城址は、鷺沼集落地を眼下にして、東京湾をすぐ前に望む景勝の地である。しかし市街地化が早く、破壊も激しく不明瞭である(『日本城郭大系』)。

現在は鷺沼城址公園となっており、遺構は無い。城址は古墳跡にもなっており、古代からの有力豪族の領地であったと思われる。

 

(【左写真】城址石碑 【右写真】城址への道。遺構は不明。 )

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