若宮館

鎌倉時代の中頃、下総国守護・千葉頼胤に仕えた富木常忍は、八幡荘若宮と呼ばれたこの地(千葉県市川市若宮)に館を構え、幕府のある鎌倉との間を往復した。そこで布教に懸命だった日蓮と出会い、熱心な信者となった。

文応元年(1260)鎌倉の松葉ヶ谷で焼き討ちがあったとき、日蓮は常忍を頼って当地に逃れてきたという。弘安五年(1282)日蓮の入滅後、常忍は出家して日常と号し、その館は奥之院と呼ばれる仏閣として使用されるようになったという。

奥之院には、今でも土が高く盛られ、大樹の繁っている部分は、往時の館を取り囲む土塁の一部で、この館の跡を「若宮館跡」と呼んでいる(『市川市教育委員会・現地説明板』)。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 帝國博物学協会城郭研究部 城郭図鑑

 

(【左写真】奥之院 【右写真】土塁跡 )

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

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