『豊臣秀次』

人物叢書

藤田 恒春 著

吉川弘文館 刊

2015年3月1日(初版)
264ページ 2,200円

評 価
★★★★

著者藤田 恒春氏は、1952年滋賀県生まれ。1979年、関西大学大学院博士課程前期課程修了。京都橘大学非常勤講師。『豊臣秀次の研究』(文献出版、2002年)、『小堀遠江守正一発給文書の研究』(東京堂出版、2012年)など。

本書は、織豊時代の武将・関白。秀頼誕生後、「秀次事件」で高野山に果てた、その死の真相と影響を探り、叔父秀吉に翻弄された生涯を描く。織豊政権時代の武将・関白。豊臣秀吉の実姉の子に生まれ、三度目の養家先として跡継ぎのいない秀吉に迎えられる。秀吉から関白職を譲られると、聚楽第にあって学文の奨励や古典蒐集などを行なうが、秀吉に実子秀頼が誕生後、高野山に追放され果てる。妻子を巻き込む惨劇となった「秀次事件」の真相と影響を探り、叔父秀吉に翻弄された生涯を描く。というもの


(豊臣秀次像・地蔵院蔵。秀次自刃の前後に書かれたもので信憑性は高いという)

豊臣秀次研究の第一人者による書である。秀次の伝記として完成されたものであり、本書が集大成と言えよう。

長年の研究の成果として、重厚な知見・見識と、豊富な史料、正確な分析によって、悲運の武将・豊臣秀次の生涯が露わになってくる。その筆致は実に実証的であって、極めて信頼の置ける一冊である。

「殺生関白」の汚名を雪ぎ、「秀次謀反」の雪冤を果たす歴史書で、人物叢書の誇る名著である。本書を越える秀次伝記の登場は、当面期待できないだろう。

確かに秀次は有能な武将ではなかったようである。小牧長久手の役で惨敗した際には秀吉から「人からも人と呼ばれるようになりなさい」と責められているように、生涯、不出来な甥であった。しかしその人生はすべて秀吉に左右され、ストレス極大の悲しく苦しい28年間だった。

著者曰く
秀次二十八年の人生を顧みるとき、操り人形のごとく操られていたとはいえ、秀次なりに公家たちへの学問の奨励をとおして自らも漢和聯句などに関心を見出し、また古典の蒐集などへも関心を示し、それが軌道に乗りはじめたと思う矢先に降って湧いたような事件に巻き込まれたのである。志半ばにして汚名を着せられたまま葬り去られたことは無念であったろう。

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