『豊臣秀次』
人物叢書
藤田 恒春 著 |
吉川弘文館 刊 |
2015年3月1日(初版) |
評 価 |
著者藤田 恒春氏は、1952年滋賀県生まれ。1979年、関西大学大学院博士課程前期課程修了。京都橘大学非常勤講師。『豊臣秀次の研究』(文献出版、2002年)、『小堀遠江守正一発給文書の研究』(東京堂出版、2012年)など。 本書は、織豊時代の武将・関白。秀頼誕生後、「秀次事件」で高野山に果てた、その死の真相と影響を探り、叔父秀吉に翻弄された生涯を描く。織豊政権時代の武将・関白。豊臣秀吉の実姉の子に生まれ、三度目の養家先として跡継ぎのいない秀吉に迎えられる。秀吉から関白職を譲られると、聚楽第にあって学文の奨励や古典蒐集などを行なうが、秀吉に実子秀頼が誕生後、高野山に追放され果てる。妻子を巻き込む惨劇となった「秀次事件」の真相と影響を探り、叔父秀吉に翻弄された生涯を描く。というもの。
豊臣秀次研究の第一人者による書である。秀次の伝記として完成されたものであり、本書が集大成と言えよう。 長年の研究の成果として、重厚な知見・見識と、豊富な史料、正確な分析によって、悲運の武将・豊臣秀次の生涯が露わになってくる。その筆致は実に実証的であって、極めて信頼の置ける一冊である。 「殺生関白」の汚名を雪ぎ、「秀次謀反」の雪冤を果たす歴史書で、人物叢書の誇る名著である。本書を越える秀次伝記の登場は、当面期待できないだろう。 確かに秀次は有能な武将ではなかったようである。小牧長久手の役で惨敗した際には秀吉から「人からも人と呼ばれるようになりなさい」と責められているように、生涯、不出来な甥であった。しかしその人生はすべて秀吉に左右され、ストレス極大の悲しく苦しい28年間だった。 著者曰く |