『朝倉始末記』
(日本合戦騒動叢書)
著者不詳 |
勉誠社 刊 |
平成6年6月20日(初版) |
評 価 |
訳者藤居正規(ふじい・まさのり)氏は 1924年、大分県生まれ。東京工業大学卒。元福岡造船且ミ長、技術士(船舶部門)。 『朝倉始末記』は、越前の戦国大名朝倉氏の興亡記。全8巻。著者および成立年代未詳。朝倉氏の発生から天正元年 (1573) 年八月、朝倉滅亡までを記す。朝倉氏と足利氏、織田氏との関係、加賀国・越前国の一向一揆に関する記事を主とする。 『朝倉始末記』を通読すると、朝倉一族の有様が目に浮かぶようであった。 一揆で戦死した玄任の妻、父を追って自害した青年龍崎宮千代、敵の虎御前山城に果敢に放火したものの義景から褒美の無かった竹内三助・上村内蔵助、朝倉滅亡に及び妻・子とともに自刃して「兒が淵」に投身した執木山清左衛門という老武士、美しい16歳の武士だった朝倉彦四郎とその首を取って信長に叱責された犬間源三郎長吉などなど、名もない武士たちの生き様が活写されている。 また、永禄四年(1561)四月六日、福井市三里浜で行われた犬追物において、栂の三郎右衛門吉仍(栂野吉仍、とがの・よしあつ)が「日記」(記録係ヵ)を勤めて、假屋でこれを記したという。栂野吉仍は和田庄内・栂野村を出自とする地侍といわれており、祐筆とは別に、政府公式の記録者がその時々でいたようである。 朝倉滅亡を決定づけた天正元年(1573)八月の刀禰坂の戦いでは、印牧能信が生け捕られて信長の前に引き出された逸話が記されている。これは『信長公記』にも書かれており、異同もあるので併記してみる。
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