『織田信長 最後の茶会』

 「本能寺の変」前日に何が起きたのか

小島 毅 著

光文社新書 刊

2009年7月20日(初版)
261ページ 780円

評 価

小島 毅氏(こじま つよし、1962年5月 - )は東京大学大学院教授。専攻は中国思想史。群馬県高崎市生まれ。1985年東京大学文学部中国哲学専修卒業、1987年同大学院修士課程修了、同東洋文化研究所助手、1992年徳島大学講師、1994年助教授、1996年東大人文社会系研究科助教授、2007年准教授。2012年教授(『Wikipedia』)。

本書は、本書は、本能寺の変について「東アジア」という視点から考察を加えていく。私の本業は東アジアの思想文化についての研究である。したがって、室町時代の政治史に関しては門外漢であり、単なる「愛好家」にすぎない。だが、信長の「変」前日の行動をめぐる従来の研究・叙述のほとんどが、視野を日本国内に限定していることに対して長いこと違和感を懐き続けてきた。十六世紀後半の世界情勢のなかに「天正十年六月一日」を置いて眺めてみると、同時に存在していたさまざまな動きが見えてくる。
【目次】
プロローグ----本能寺の変とその前日
第一章 信長はどう描かれてきたか----天皇との関わり
第二章 本能寺の変の黒幕候補たち
第三章 永楽銭、石見銀山、倭寇----東アジアの経済交流
第四章 安土城、名物茶道具----信長と唐物
第五章 東アジアの暦と太陽暦、太陰暦
第六章 明歴と日本
第七章 宗教と信長王権
エピローグ----そして太陽暦が採択された
というもの。

本書には、問題点が多く、通読することが苦痛極まりなかった一冊である。

・まず、全体的に悪文・駄文である。堅苦しい単語・書き回しを使ったりしているが、要点を得ず、意味の取れない所が多い。

・戦国史は門外漢なのか、戦国時代に関することの多くは、他人の学説・書籍を引用して、そのまま載せているだけである。

・一部、他人の説に反論し、疑問を呈している箇所もあるが、著者自身の意見はその提示せず、そのままスルーしている。また意見を付しても根拠のない妄想レベルのものである。

・著者が博学なのは分かるが、章・節で論する内容が、支離滅裂であり、話があっちに行ったりこっちに行ったりと一貫しておらず、何を言いたいのか分からない。単なる知識の披瀝、自分のための備忘録のような構成である。

・ほとんど関係のない、期待すらしていない話が延々と続き、退屈この上ない。

・東アジア・世界情勢から本能寺の変を研究するといい、文化・経済・暦に関する記載はあるが、全然、変には結び付いていない。そして出典の明記もない。

・さらに、一番の驚きは、タイトルである「最後の茶会」「本能寺の変前日に何が起きたのか」について、ほとんど触れられていないのである。まさに詐称である。

このように、本書は驚異の一冊であり、著者が”東大教授”だからといって、若干でも期待して手に取ったことをひどく後悔させるものであった。次に例示する。

【これまでの戦国史研究を批判】
信長の旗印が永楽銭なのは、象徴的に思われてくる。このことの意義は管見のかぎり、先行研究できちんとした分析がなされていないように思われる。(99頁)
 
永楽銭は、中国明代の年号を名にもつ、輸入通貨であった。そのキーワードは「国際化」。いわば信長は明の皇帝の旗のもとに戦っていることになる。日本国の天皇が定めた年号ではないのだ。(105頁抜粋)
 
日本の歴史を考える際に最も重要な東アジア海域交流の長い伝統を見ようとはしていない。」(106頁)終節

【本能寺の変の動機】
彼が本能寺を襲撃した目的は本当に信長の首を獲ることだったのだろうか。
  「敵は本能寺にあり。」
敵とは、そこにある名物茶道具だったのかもしれない。信長の御殿が炎上したのは光秀の意思ではない。光秀は最も欲しかったものを入手しそこなったとは考えられないだろうか。
」(178頁抜粋)

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城と古戦場