川崎城

塩谷城、蝸牛城とも。

川崎城(栃木県矢板市川崎反町)は、東側に宮川が流れ、西から南に弁天川が外堀の様に取り巻く"城山"と呼ばれる丘陵にあった。

正治・建仁年間(1199-1204)に宇都宮業綱の子・塩谷朝業によって築かれたという(『日本城郭大系』)。
朝業は鎌倉時代初期の御家人で、歌人としても知られ、相当な地位にあった人物だが、建久五年(1194)周防国に配流された(『吾妻鏡』『信生法師集』『新和歌集』)。

城の西側は比較的ゆるやかな傾斜で、削平地を数段に構え、空堀と土塁をもって回廊状の構造にしていることから別名「蝸牛(かたつむり)城」とも呼ばれている(『日本城郭大系』)。また、本丸の西の麓に「館の川」という地名が残り、居館の跡と考えられる(『日本城郭大系』)。
一説には、大手口は東向きにあったとされている(『下野一国』)。

城址は遺構を良く残しており、大規模な山城であったことが窺われる。縄張りに技巧性は感じられなかったが、相当な勢力による改修があったものと見られ、戦国時代まで使用されたのは間違いないと思われる。

 
(城址の航空写真)

 (現地案内図)

 

【左写真】城址石碑。【右写真】本丸跡。かなりの広さで本格的な城郭。)

 

【左写真】本丸の土塁跡。【右写真】本丸からの眺望。)

 

【左写真】本丸西側。切岸になりその下は堀底道。大規模だ。【右写真】本丸西の「一の堀」。とても大きい。)

 

 【左写真】二の丸。こちらも大規模。【右写真】二の丸から三の丸へ向かう空堀跡。)

 

 【左写真】西斜面に連続する段郭。【右写真】城址遠望。)


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