佐野城

佐野城は別名・春日岡城とも言われ、その地名には、延暦元年(782)藤原藤成がこの丘に春日明神を祭ったことに由来すると伝えられている。

慶長七年(1602)唐沢山城主・佐野信吉は、当時この地にあった惣宗寺(佐野厄除大師)を移転させるとともに、築城と町割を開始した。 今日見られる佐野の街は、当時の佐野城を中心とした町づくりがその原形となっている。

佐野氏は、慶長十二年(1607唐沢山城を廃してこの地に移ったが、同十九年(1614)所領を没収されて改易となり、築城後間もなく城は廃城となってしまう。

城は独立丘陵を利用した連郭式の平山城で、南から三の丸・二の丸・本丸・北出丸と直線的に続く郭で築かれている。各郭の間を空堀で区切られている(『現地案内板』)。公園化により破壊されているが、遺構は所どころに垣間見られる。

( 現地案内板 )

 

【左写真】本丸跡 【右写真】本丸の石垣(発掘調査の際に出土したもの))

 

【左写真】土塁跡 【右写真】空堀跡 )

 

【左写真】二の丸跡 【右写真】二の丸虎口と城址石碑 )

 

【左写真】三の丸跡 【右写真】北出丸跡 )

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