鹿沼城

天文元年(1532)壬生下総守網房の築くところにして近世城郭の先駆をなすものである。
本丸、二の丸、三の丸を備え、濠を二重、三重にめぐらし、外に出丸を設け総面積数万坪に及ぶ。
天正十八年(1590)時の城主・上総介義雄、北条氏に味方したため豊臣秀吉によりて当城の破却を命ぜられ、鹿沼城築城以来五十七年にして壬生氏はついに滅亡した。近年に本丸、二の丸、三の丸を地ならして総合グランドとした(『現地案内板』)。

本丸跡が御殿山公園野球場となっており、その周囲に堀・土塁が残っている。

 

【左写真】本丸(野球場となっている)【右写真】土塁跡(遺構なのか野球場を造成した際のものかは不明))

 

【左写真】土塁跡 【右写真】腰曲輪跡 )

 

【左写真】比較的良好な保存状態の空堀 【右写真】城址遠望)

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