若江城

明徳三年(1392)頃に河内国守護・畠山基国が築いた。代々守護代として遊佐氏を入城させた。

永禄十一年(1568)織田信長の畿内平定後は三好義継が入城。高屋城の畠山高政と共に河内を分け与えられる。天正元年(1573)義継は足利義昭の挙兵に応じて義昭を保護したとして、佐久間信盛に攻められ落城。その後に池田教正に与えて石山本願寺攻めの拠点とするが、本願寺退去後に利用価値がなくなり廃城。教正は八尾城に移る。

若江公民館と付近の若江神社に城址碑が残るのみで遺構はない。しかし昭和に入ってからの発掘調査で公民館を中心に二重の堀や土塁の跡が確認されたという。この付近を字「城」という(『日本の名城・古城事典』)

 

【左写真】城址石碑 【右写真】若江公民館 

(発掘時写真)

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