茨木城
建武年間(1334〜36)楠木正成が築城したと伝わるが定かではない。 室町幕府御番衆・茨木氏が代々居城していたが、元亀二年(1571)織田信長方の荒木村重に攻められ落城。荒木家臣・中川清秀が城主となる。 天正十四年(1586)中川秀成が播磨三木に転封になると、豊臣氏の直轄領を経て、関が原合戦後に片桐且元が城主となる。大阪の陣において且元は豊臣秀頼方として徳川との交渉に苦慮するが、豊臣方から内通を疑われ江戸に下向。元和の一国一城令で廃城となる。 茨木小学校一帯が城跡だが遺構は皆無。櫓門が小学校に復元され、付近の茨木神社に搦手門が移築されているのみ。茨木神社の石垣は、茨木城の石垣を移したとも云われるが城址の面影は年々消えている(『日本の名城・古城事典』)。 |
(【左写真】茨木神社・移築搦手門 【右写真】復元櫓門 )