布佐城

和田城とも。

布佐城(千葉県我孫子市布佐)は、手賀沼と利根川に挟まれた標高20m前後の舌状台地にあった。常陸川、衣川などを繋ぐ要衝にあり、航行する船を監視するのに絶好の地であった(『東葛の中世城郭』)。

鎌倉幕府初代侍所別当・和田義盛と関係があるという伝承から和田城とも呼ばれている(『日本城郭大系』)。戦国時代、当城は豊島氏の属城であったとされ、延徳五年(1493)には合戦があり、豊島次郎左衛門ほか諸人が討死にしている(『本土寺過去帳』)。

城址台地は、明治時代に削平されて鉄道(JR成田線)が敷設され、またその沿線は住宅地と化しており、遺構は何ひとつ残されていない(『東葛の中世城郭』)。

(参考サイト:余湖くんのホームページ 城郭図鑑

(跡地。遺構は皆無である。)

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