龍崖城

竜崖城とも。

龍崖(りゅうがい)城(千葉県我孫子市布佐字谷ツ山)は、布佐台地から遊離して、当時の常陸川低湿地に孤立した島状の地にある(『日本城郭大系』)。かつては龍崖(貝)山と呼ばれた標高20mの丘陵であったという(『東葛の中世城郭』)。

当城は、布川の豊島氏の支配化にあったと推察されているが不明である。城主・粟巻弾正の妻の入水伝説や水神・龍神にまつわる伝承が残されており、いわゆる水城であった可能性が高いとされる(『東葛の中世城郭』)。

伝説として、城主・粟巻弾正に恩のある古戸村の三本足の古狐が、天慶の乱(939)の守谷城の戦いで、城主が戦死したことを知ると、竜崖城の守戦の時に奮戦協力したという(『古戸村十二窓三本足稲荷』『東葛飾郡誌』)。

城址は、昭和四十二年頃に宅地造成(新木団地)されるまで、空堀・土塁などが存在したが、現在では全くその面影を残していない(『日本城郭大系』)。

(参考サイト:余湖くんのホームページ

(現地案内図。団地となって遺構は残っていない。)

 

(【左写真】新木団地。山自体が消滅した。【右写真】遠望。周囲は低湿地帯でかつては水場だったろう。)

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