標高25m、比高23m。奥山とも。 箕輪城(千葉県柏市箕輪)は、手賀沼西部南岸域の開析谷に挟まれた舌状台地の先端部に占地している(『東葛の中世城郭』)。 鎌倉時代、箕輪は相馬氏の所領であった(『相馬文書』)。その後の箕輪の領有関係は不明であるが、応永二年(1395)当時も相馬氏が支配し、付近に居館を構えたものと推定される(『相馬文書』『東葛の中世城郭』)。その後、戸張氏の家臣・高城伊勢守が城主になったとされ、戦国時代はこの高城氏の持ち城であったと思われる(『東葛郡誌』)。 遺構は、土塁と空堀とによって「田」の字形に四つの郭を配し、それぞれ土塁で繋いでいる。しかも、一部の土塁と空堀は極めて雄大で、昭和五十五年頃は完全な形で残されていた(『日本城郭大系』)。現在は手賀沼病院が建ち、一部消滅しているが、それでもかなり見応えのある史跡である。 城郭の存立時期は、十五世紀半ばから十六世紀末頃までと考えられ、戦国城郭として機能したことは明らかである(『東葛の中世城郭』)。 (参考サイト:余湖くんのホームページ) |
(【左写真】国土地理院発行の2万5千分1地形図 【右写真】現地航空写真 )
(千野原靖方著『東葛の中世城郭』掲載の縄張図)
(【左写真】郭の一部に建つ手賀沼病院。【右写真】T郭脇の空堀。かなり大規模である。)
(【左写真】T郭の主要部は駐車場になってしまった。)
(【右写真】T郭の先端は嘴状の細長い縄張り。土塁で囲まれ、兵を隠した場所ともされる。)
(【左写真】U郭。しっかりと削平され、広い。【右写真】U郭の土塁も良く残る。)
(【左写真】U郭の土橋。はっきりと残っている。【右写真】土橋先のU郭虎口。)
(【左写真】U郭を巡る空堀。写真のとおり明瞭。【右写真】空堀は、折れ・横矢も見られる。)
(【左写真】V郭。改変の可能性もあるが、なかなか広い。【右写真】V郭の土塁。この向こうは空堀。)
(城址遠望)