標高50m、比高30m。万喜城、万騎城、富山城とも。 万木城跡(千葉県いすみ市万木)は断層崖の急傾斜を三方にもつ台地で、夷隅川を天然の外堀とした要害の地である。万木城については不明な点が多いが、永禄八年(1565)の行元寺文書から十六世紀中頃に築城されたことが傍証できる。天正末年頃、城主・土岐頼春は小田原北条氏に属していたが、小田原落城により北条氏と運命を共にした(『現地案内板』)。 一説に、応永十九年(1412)土岐時政が摂津国富山城からこの地に移り、築城したとも伝えられるが、確たる史実はない(『日本城郭大系』)。 城主は土岐氏であり、戦国時代には後北条氏に属し、里見氏の攻撃を幾度も退けている。 徳川家康関東入国後の天正十八年(1590)八月、徳川四天王・本多忠勝に攻略され、城主は、小舟に乗って逃れ三河国に蟄居したとも、城内で自刃したともいう(『日本城郭大系』)。 万木城は、技巧の優れた山城ではないが、中世城郭としての遺構がよく残っている点は貴重である(『日本城郭大系』)。 (参考サイト:埋もれた古城 余湖くんのホームページ) |
(付近地図)
(『日本城郭大系』掲載の縄張図)
(【左写真】城址〔櫓台跡〕に建つ天守閣風の展望台。【右写真】整備された曲輪跡。)
(【左写真】城址周囲の断崖。要害の地形である。【右写真】本丸跡からの眺望。)
(城址遠望)