城之台城

船橋市本中山城之庭の東側に孤立する稲荷神社の高台と、多聞寺北側の台地は、明治三十六年に東京市内の旧総武鉄道敷き用として土取りされるまでは、同じ台地として続いていた(『日本城郭大系』)。

城ノ台城は、稲荷神社の地を西端として650mの幅の低地を挟んで、北側の法華経寺と向かい合い、主要部分は、かつてこの台地に存在していたと思われる。城之庭と名前を変えたのは明治九年(1876)地租改正事業の時といわれるが、南台地下の「字城之下」の名称は今日も残っている(『日本城郭大系』)。

この低地地帯に「小栗原」という地名があることから、小栗判官満重という者を城主とする説もあるが明らかではなく、遺構も残されていない(『日本城郭大系』)。

 

(【左写真】多聞寺 【右写真】城址の多聞寺背後の台地。遺構は無い。 )

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